「できない」は思い込み-ペーパードライバー歴20年からの脱却

最近、車を買った。スズキのジムニーである。ご満悦で、ほぼ毎日、ドライブをしている。実は、数か月前まで、自分が人生で車を運転する日が来るなんて、ましてや、車を買う日が来るなんて、想像すらしていなかった。人生というのは何があるかわからない。

車の免許は大学生時代にとったものの、苦手のひとことに尽きた。若い頃、東名高速ではあわやの大事故寸前の、「ひやりはっと」を経験したことがあった。車庫入れは苦手もよいところで、よく、友達に代わってやってもらっていた。私は過集中の傾向があり、車の運転のような上下左右に気を配り、まわりを観察するというのは苦手なのである。また、空間図形の把握能力も低く、ハンドルをどっちに切れば、タイヤがどうなるのか、ということを把握するのも一苦労である。

自分でも苦手と思っているうえに、まわりからも「真紀ちゃんは、車の運転は向いてない」と言われていた。上司からは、アメリカ出張の際、レンタカーを借りて運転していたら、「俺が送り迎えするから、今後は絶対運転するな」などともいわれるので、ますます苦手意識が高まった。

年もとってきたし、車は、人の命にかかわる事故にもつながりかねない道具だと思っているので、「運転しない」が一番無難な選択であった。実際、都内に住んでいれば、車はほぼ不要である。

ところが、である。今年の6月から福岡県糸島市と東京の2拠点生活を始めた。詳しい話は避けるが、コロナ禍が意志決定のきっかけとなった。8月には住民票を移し、2拠点といいつつも、生活の中心は糸島になった。年内には東京の拠点からは、撤退し、完全移住の経計画である。

糸島という田舎に住むとなれば、車はあった方が便利なのはわかっていた。しかし、だからこそ、私は慎重に、駅と海が近い、「大入」というエリアの賃貸を選んだ。部屋からは海は見えるが、筑紫線大入駅まで徒歩わずか7分である。そしてその大入駅から、福岡市の中心エリアである天神駅、博多駅、そして福岡空港までは、直通1本、1時間弱なのである。

もっというと、私は、この糸島エリアに足掛け5年毎月通っていた。同じく、海と駅が近い「今宿」という駅の近くの海の真ん前のAirbnbが定宿だった。そして、その間、1度も車は運転しなかったが、楽しく滞在をエンジョイできた、という実績もあるのである。

なので、糸島に移住するとなっても、車を運転する気も、ましてや、買う気もまったくなかった。賃貸マンションの契約の際に、「駐車場はどうしますか?」と聞かれ、きっぱり「いりません」と答えた。しかし、「いずれ、いるようになるかもしれない」「そのときには空きがないかもしれない」と説得され、しぶしぶ、一応駐車場を契約したものの、それを使う日がこんなに早く来るとは思っていなかった。

まず、買ったのは、電動自転車である。しかし、最初の挫折は、お気に入りのチーズ屋さんまで電動自転車で行くのに、片道15kmかかるということを知り、実際行ってみたら、往復で3時間近くかかる、という経験をしたときにやってきた。

たまのお遊びなら、それもいい。しかし、私はそのチーズ屋さんが大好きで、ほぼ毎週行きたいのである。毎週3時間、自転車に乗るか、といわれれば???と言わざるを得ない。

そして、自転車を運転して気づいたのは、糸島は1車線で、車量もそんなにはない、ということ。自転車のほうがむしろ危険を感じる、ということ。そして、大好きな唐津や伊万里や有田も、自動車ならすぐに行けそうだけど、自転車ではちょっと遠いということである。

ということで、あっさり信念を手放して、車を購入した。最初に乗るのはちょっとこわかったが、慣れてくれば、たいしたことはない。いや、むしろ、楽しいではないか。これは何なのか。最初は糸島だけと思っていたのに、今や博多駅や、福岡空港にまで何度も車で行っている。最初は車線の多さにどきどきした。今でも、軽々というわけではなく、市心まで行くのは、ある意味大冒険である。しかし、荷物も載せられるし、時間の制約はないし、この便利さと、快適さは、1度経験したらなかなか手放せるものではない。そして、大冒険と思えるようなドキドキも、何度も経験すれば、段々、要領がわかってくるものなのだ、ということも学習した。

今まで、車の運転が苦手だと思っていたのは、いったいなんだったんだろう、と思う。苦手であったとしても、世の中の多くの人ができることは、練習を重ねれば、できるようになるのだ。たとえ学習速度が遅くても、繰り返し練習すれば克服できる。

(文責:中村 真紀)