循環の中に生きる

独立を決意するまでの心の動きをみても、それから独立してからの生活でのチャレンジを考えても、実は、オカネの話は切り離せません。が、そのことについて、書くことには、正直抵抗がありました。

大学を卒業してから30年以上、毎月一定額の給与が振り込まれる生活に慣れてしまった身にとって、定収入のない状態というのは、率直に言って、大きなチャレンジです。でも、それを声に出すことには大きな抵抗がありました。

しかも、私は、最近のある時期まで、オカネの痛みは、もう卒業できだのではないか、と考えていたのです。が、独立して、それは大きな勘違いだったことに気づきました。むしろ、まだ探求しきれていないけれど、私の中には、オカネに関して、癒やしてもらいたがっている、何かの痛みがあるのだなあ、ということを認めようという気持ちになりつつあります。

外資系企業の中で、経営者をめざしたことも、もしかしたら、その痛みとも関係しているのかもしれません。ここは、まだまだ探求しがいのあるエリアだなあ、と今は、なんとなく、保留しながら、眺めている状態ですね^^。この後の進展をお楽しみに!

とはいえ、長年、オカネの不安もひとつの原因で、雇われ人を卒業できなかった私が、えいやっと、独立できた背景には、「お金よりも自分の魂とつながることが大切」という実感が、確かに、身体の中に芽生えてきたからでもあります。これは、以前にはなかった感覚なので、その分だけ、少し前進した実感もあります。

更に、まだまだ身体にはしみ込んでいるとはいいがたいと正直に表現しますが、アタマでは、「怖れを手放し、循環の中に生きたい。必要なときに、必要なものは、循環の中からやってくる」という生き方をしたいなあ、と願っていたりもします。

この生き方に関しては、確信もあるのだけど、私の生存本能さんが、まだまだ抵抗している感じでしょうか。ここは、焦らず、じっくり、生存本能さんの言い分も聞きながら、じょじょに、循環の感覚とつながりたいなあ、と思っていたります。

で、今日、私のコーチと、どうやったら、その感覚につながれるかを話している中でひとつ発見がありました。それは、確かに「受け取っている、感謝の感覚」に満たされたとき、その怖れを手放せるという実感です。そして、最近、何回か、その「受け取っている」感覚を確かに感じるときがありました。

後輩が東京のマンションを、「貨幣経済から抜け出す実験中です」といいながら、最高のホスピタリティで準備しながらも、敢えて、選んで、無料で、貸し出してくれたときの感謝。キャッシュフローが厳しいのですと言いながら、私の講座に参加を表明してくれた何人もの人達に本気で貢献したいと願い、そして、貢献できたかなと思ったときに感じる喜びと安堵。

これらは、外資系企業から、お給料をもらう感覚とは、まったく違う質感だなあ、としみじみ感じるのです。そしてその感覚を身体いっぱいで感じて、感謝の気持ちで満たされるとき、

私の中で大騒ぎしていた、生存本能さんの怖れが、なぜか静まって、とても、安らかな、宇宙に身をゆだねるような、安心感に包まれるのを確かに味わいました。

きっと、この感覚にもっともっと満たされていけば、怖れを手放せそうな気がしています。まだまだ時間はかかるかもしれないけれど。

<文責:株式会社まんま 代表 中村真紀