実は、私は、最近、「災害は天からの贈り物である」と思うようになった。とはいえ、「災害は天からの贈り物である」、などと書くのは、正直、憚られるし、うしろめたくもある。災害には、必ず大きな被害がつきものだ。その被害を直接的に受け、命を落とす方、愛する方を失う方、病気や怪我に苦しむ方、家を失う方、家が損壊する方、などなど。被害があるからこそ「災害」なのである。
どのような災害であれ、被害を受けられた方には、心からお見舞いを申し上げたいという気持ちはもちろん強く持っている。自分が積極的にそのような被害にあいたいわけでもない。いや、むしろ、可能なら、一生災害になど、あわずにいたいとも強く願っている。一方で、人類の歴史を現実的にみれば、肉体を持った動物の一種として、災害に遭おうが逢うまいが、誰でもいつかは死を迎えるし、その限られた人生の間に、災害を含む、さまざまな試練に出会うことは、むしろ、当たり前のことだともいえる。
災害で人生が良い方向に変わった
さて、ではなぜ、私は「災害は天からの贈り物である」と思うに至ったのか。それは、過去10年の中で、日本を襲った2つの大きな災害、東日本大震災と新型コロナウィルスの感染拡大を通して、私の人生が大きく良い方向に変わった、という経験をしたからである。そして、まわりを見渡してみると、このような経験をしている人は、決して私ひとりではなく、かなり多くの人に起きている、共通の現象のように思えるからだ。
ここでは、私の、東日本大震災における経験を具体的に、お話したい。あの衝撃的な津波の映像、そして原発をめぐるさまざまな事態は、私に人生の意義そのものを考え直すことを突き付けてきた。それまでの私は、自分のキャリアをどう発展させるか、というようなことしか考えていなかった。生活は会社中心だった。しかし、自分が思ってもみなかったような大災害が起きたあと、そのような生活は、とてもちっぽけなものに見えた。多くの被災者が苦しんでいる中で、自分は、個人として何ができるのか、ということも考えた。
何かをしたい、という気持ちはあったが、何ができるのかよくわからないまま、悶々とする日々が続いて1年以上が過ぎた。そんなとき、友人のSNSの投稿から、岩手県の陸前高田市に英語を教えに行く団体があるのを知った。正直、がれき片付けのようなボランティアでは、自分が役に立てる気がまったくしなかったのだが、20年以上外資に勤務してきたので、英語なら教えられるかも、と思った。団体の責任者を紹介してもらい、2015年1月から、月1回、2泊3日の陸前高田訪問に参加するようになった。
この団体を出会ったこと。そして、陸前高田を訪ねたことは、その後の私の人生を大きく変えた。まず、最初の訪問で、出会った地元の方々、そしてボランティア講師仲間との交流があまりに(良い意味で)強烈だった。個性的で、才能豊かな地元の方々。東京でもこんな面白い人達に会ったことはない、と思った。当時は、まだ、みなさん仮設住宅に住んでいた。つらい思い出もまだ生々しく、そういうお話もいっぱい伺った。しかし、その中でも、みなさんが、なんとか未来に向かって生きていこうとしている必死の情熱やエネルギーも感じた。
たったの2泊3日だったが、私は、ボランティアをするどころか、地元のみなさんに多くのものをいただいてしまった、と感じた。こんなにたくさんのものをいただいたお返しはどうすればいいのだろう?それは、また来ることしかないのではないか?正直いって、そんな殊勝なことを思ったのは生まれて初めてだった。それから私の陸前高田通いが始まった。
この陸前高田通いは、私の価値観を大きく変えていく。まず、私の中で、会社の占める比重が大きく下がった。当たり前だが、世の中は「私の会社」だけでできているのではない、ということを身体で実感した。また、ほぼ毎月、陸前高田に通い、美しい自然に触れる中で、私にとって自然というものがなくてはならなくなった。
私は陸前高田以外の場所にも積極的に旅に出るようになった。訪問先のひとつだった福岡県糸島市がとても好きになり、糸島にも毎月通うようになった。
そして、今回の新型コロナウィルス感染の問題が起きた。旅好きだった私が、なんと3か月間、都内のマンションに引きこもらざるをえなくなった。結果、何が起きたか。私は、会社を辞め、糸島の海の見える賃貸に移住する決意をしたのである。
そして、今。探し始めて1時間でみつかった、糸島の海の見える賃貸で、私は、9月1日の退任に向けて、最後の引継ぎをオンラインで行っている。
今、私の心はとても満たされている。私の大切な友人のほとんどは、陸前高田や糸島への訪問を通じて知り合った人である。そして、自分にとって欠かせないとわかった「自然とともに暮らす」ライフスタイルを実現できていることで、私の心は深く満たされている。
このような人生は、東日本大震災、新型コロナウィルスという2つの大きな災害なしには、実現できなかったと思うととても不思議な気持ちである。どちらの災害にも、私自身も災害による不自由や苦労も経験したし、多くの人の苦しみに心が震えることもあった。それでも、なお、私には、「災害は天からの贈り物である」としか思えない。
また、たとえば、少なくとも、陸前高田で同じ団体でボランティアをした100名以上の仲間は、私と似たような体験をしているのではないかと思う。もっといえば、直接被災をされた、陸前高田の方々の中にも、私たちの団体と出会うことで、思いもかけないよい方向に人生が変わった方がたくさんいらっしゃる。
今回のコロナに関しても、少なくとも私のまわりでは「コロナのおかげで生き方を見直せた」「コロナのおかげで、とまろうと思ってもとまれなかった生活を変えることができた」「2拠点生活を始めた」「移住した」という方が複数いらっしゃる。どの方も、「とはいえ、コロナのおかげなんて、人前ではいえないよね」と言いながら。
だからもう1度言う。「災害は天からの贈り物である」
(文責:中村 真紀)