Chapter1
荻窪で生まれた。大きな家、大きな庭、幼なじみたち。そのコミュニティの中でリーダー格だった子が、小学4年生のある日、横浜に引っ越し(私には田舎に思えた)、戸惑いやアウェイ感を感じて孤独だった。
それを払拭したくて、中高一貫のフェリス女学院に入って部活(バスケ)を中心に女子にもてて楽しく過ごしていたけれど、目指す大学には合格できず、早稲田に入 り、女子校とのギャップに戸惑いまくり、自称暗黒の4年間を過ごした。
なんとなく新聞記者をめざしていて、日経新聞の最終選考まで残ったけれど落ちた。すべり止めで受けた西友に入社した日、「負け組だ」とすねていた。
配属先は町田店の衣料品部門。スーパーの衣料品なんて、と落ち込みまくっていた。でも1週間もしないうちに、大卒女子を育てたいと私を指名して衣料品配属にしてくれたF課長に愛情をもって育てられ、お店が大好きになった。「ああ、私は働くほうが楽しいんだ」。
それが、すべての始まりだった。
Chapter2
それから30年ちかく、流通・小売の世界を走り続けた。
入社2年目でファッション専門店プロジェクトというわけのわからないプロジェクトに配属され、まるでスタートアップ企業に転職したかのような日々を過ごしたが、2年でプロジェクトは閉鎖。「つぶれた会社からきた女」と同期に馬鹿にされ、涙し、この負債は私が返す、中村真紀に投資したと言わせてみせる、この会社の社長になるんだと密かに誓った。
営業企画時代が長くて、ちょっと仕事に飽きていたころグロービスに出会い、そこでキャリア研究会に入って転職をめざすようになった。社内でも新社長とのご縁があり経営的視点に触れる機会があった。
もっとストレッチしたくて、カルフールジャパンへ転職。ここで、商品部との縁ができ、だからこそ不思議なシンクロに恵まれて、ウォルマートと提携を模索した西友に出戻る。
西友からウォルマート本社に長期研修の1人目として派遣された。経営幹部のリーダーシップ、カルチャーの強さ、人を大事にして育てる風土に感銘した。
帰国して日用品部門の責任者に。ウォルマート流EDLPをペットカテゴリーから始め、全商品に広げた。2009年にはSVP・CMO(商品本部長)に就任。2012年からは惣菜製造販売子会社「若菜」の社長として、8,000名の組織を率いた。
Chapter3
2011年、東日本大震災の津波映像を見た瞬間、何かが揺らいだ。
「ただキャリアを追いかけてきた自分の人生はなんなのだろう」
被災地のために何かできないか、悶々としていたとき、陸前高田に英語を教えるNPOがあると友人に聞いた。忙しさを理由に先延ばしにしていたが、ある人に「今行かないと景色も変わってしまう」と言われ、2015年1月、ようやく初訪問した。
そこで出会ったのは、28,000人の街の中から英語を習いに来た「変わり者」たちだった(私にとって変わり者は最上級の尊敬の言葉だ)。みんな個性的で、いきいきしていた。通えば通うほど、また来たくなった。コロナ直前まで、ほぼ毎月通い続けた。
この経験が、後の糸島移住につながっていると思っている。面白い人やコミュニティにかかわりたいという思いも、美しい自然の近くに住みたいという希望も、ここで育まれた。
Chapter4
2016年、友人のSNS投稿をきっかけに福岡県糸島市を初訪問した。訪れた瞬間、ここは私の場所だという直観があった。それから4年弱、毎月通い続けた。
HAVIというグローバルファストフード企業のグローバルでのSCMパートナー企業の日本法人社長に就任し、BtoCからBtoBへの転換という難しい仕事に取り組んでいた頃、コロナが来た。
東京・中野のマンションに数か月こもりながら、気づいてしまった。「もう限界だ。この東京での暮らしも、HAVI社長という役割も、手放す時が来た」と。
先行きは何も見えなかった。でも直感が言っていた。「冒険するなら今だ」と。
糸島で海の見えるマンションを探したら、一発で見つかった。物件も見ずに移住を決めた。2020年、東京の外資系役員人生を「卒業」した。
Chapte5
移住して5年。住めば住むほど、やることが増えていった。
商店街に「糸島の顔がみえる本屋さん」を開いた(2025年9月に若い後継者に引き継いだ)。
コミュニティラジオのパーソナリティになった。
糸島ワインプロジェクトを仲間と立ち上げ、世話人として携わっている。地域通貨のコミュニティも仲間と運営している。
管理職や経営職のビジネスパーソンへのコーチングも、大切な活動のひとつだ。同時に、サツドラホールディングスには2021年に社外取締役として参画し、2023年からは取締役CHROとして。サントリービバレッジ&フード株式会社の社外取締役として、上場企業の経営にも向き合い続けている。
「何をしているの?」と聞かれても、うまく答えられない。でも、どれも「やらされている」感覚はまったくない。
Chapte6
複数の外資系企業で執行役員や社長を務めていた頃、私には無自覚な前提があった。「自分の意見は正しい」という前提が。意見の合う人とはうまくやれる。でも合わない人との関係づくりに、ずっと苦労してきた。約10年間で「天敵」とも思えるような深い葛藤を持つ人と、3人出会った。さすがに気づいた。「これは相手の課題ではなく、私に課題があるのだ」と。
そのタイミングでNVC(非暴力コミュニケーション)を学び始めた。目から鱗の体験がいくつもあったが、最も大きかったのは「2人が同じものを見ているというのは大間違い」という気づきだった。私の意見には私の暗黙の前提が入っている。相手の意見も同じ。「観察」というプロセスの中で、そのことに気づいた瞬間、何かがほどけた。
もうひとつ。感情の奥には、とても大事なもの(ニーズ)がある。相手の感情の奥にも。ニーズのレベルに対立はなく、対立は「手段」のレベルで起きている——そう分かったとき、あんなにもやもやしていた相手と「実はつながりたかっただけだった」と気づいた。ただ、そのやり方がわからなかっただけで。
スキルとして学ぶのではなく、「あり方」として身体に落とし込んでいきたい。そう思い続けてきたことが、今のすべてにつながっている。経営の経験と、人の変容への関心。長年、別々に存在していたこの二つが、NVCでつながった。
2025年6月末、CNVC認定NVCトレーナーに。NVCエンジェルズとして仲間と講座を届けている。
組織をもっと共感的で人間的な場所にしたい。一人ひとりが変容し、その変容が現実の人生で息づいていく社会をつくりたい。
経営を知り、いのちに還る。それが今の、私のテーマだ。