【非暴力コミュニケーションのプロセス】喜びから行動する

「今月末までに、仕上げていただけることはできますか?」

という、メッセージを見たときは、とてもびっくりした。
ボランティアで、あるプログラムの、英日の翻訳を手伝うことになっていた。分担とスケジュールを書いたエクセルには、翻訳、10月・11月って書いてあったので、私は勝手に、11月末までに仕上げればいいと思い込んでいた。そして、10月から11月半ばまでは、かなりスケジュールがぱんぱんだったので、11月中旬から、追い込んで仕上げればいいや、くらいに思って、まだ、何ひとつ手をつけていなかったのだ。

どんどん気が重くなる

今月末、って10月末だよね。あと数日しかないよね。なんだか、とんでもない勘違いをしていたのか。いやあ、31日から11月3日までは、私を含む8人が集まって、我が家でリトリートを開催する計画になっていて、明日30日午後からは、講師とサポーターが前乗りすることになっていた。どう考えても、翻訳している時間も余裕もないではないか。

私は、自分の意見や気持ちを正直に表明することには、あまり躊躇がないので、そのことは、率直にお伝えすることができた。理解もしていただいた。ただ、なるべく早く仕上げてほしいということには変わりがないようだった。他のメンバーは、「すみません。なんとか8日までには終わらせます」などとコメントをつけていた。私は、そもそも、11月末を想定したスケジュール組みをしていたので、今の時点では、締め切りは11月末としか、コミットできないなあ、と思いつつ、どうしようか、と頭を悩ませていた。

当初は、リトリートの期間中は、リトリートに集中し、翻訳はしない予定だったが、休憩時間や、朝晩に、ちょっと手をつけてみた。しかし、なんだか、全然進まない。作業そのものが楽しくない。かなり時間を費やしたのに、全体にやらなければいけない量の、10%くらいしか進まない。この調子であと90%やるとしたら、かなりの苦痛だ。私の気はどんどんどんどん重くなるばかり。

そして、リトリートが終わった週末。私は、ドライブ一人旅に出てしまう。2日間、特に予定はなかった。だから、翻訳に集中すれば、終わらすことはできる。しかし、どうしても、その気になれない。そして、私の心と身体は、紅葉シーズンを満喫し、ひとり気ままなドライブをすることを心から求めていた。ドライブ旅は最高だった。私の心の身体もおおいに満たされた。しかし、翻訳はどうしよう。と思っていた矢先。

「11月10日をゴールにすることではいかがでしょうか」というメッセージが投稿されているのを目にした。11月9日、月曜の朝、週末のドライブ旅行明けの朝である。

その瞬間、私の中で、何かがはじけた。「ムリ―!!!!無理、無理。無理」そんな風に追われて翻訳をしても何も楽しくない、やりたくないという気持ちだということにも気づいた。

非暴力コミュニケーションのプロセス

私は、今、学んでいる非暴力コミュニケーション(NVC:Nonviolent Communication)のプロセスにのっとって、自分の感情をトリガーした、事象の観察、そして、感情、ニーズを推測してみた。

まずは、事象の観察。「11月10日をゴールにすることではいかがでしょうか」という投稿を見たとき。
次に感情。「いっぱいいっぱい。途方に暮れる。少しいらいら」
そして、その感情が指し示す、私のニーズ。「感情的な安心感、気楽さ、自由、自主性、スペース(余裕)。中でももっとも大事なのはスペース(余裕)」となった。

このようにして、まずは、自分に十分共感したあと、今度は投稿をしてくれた、仲間の気持ちに共感してみる。
観察。「11月10日をゴールにすることではいかがでしょうか」という投稿をしたとき。
次に感情。「不安、心配、やきもき」ニーズ「前進、見通し、貢献。中でも貢献が大事。」ちなみに、これは、あくまで、私が、仲間の立場に立ってみて、推測をしただけなので、本当の仲間の感情や、ニーズはこれとは全く違う可能性がある。それでも、他人の視点を取得することは、この手の、自分の中の相手のある課題を解決するには、とても有効なのだ。

さて、ここまで、やって、次に何をしようか。私の中にわいてきたのは、この感情とニーズをきちんと相手に表現しようということだ。「思い切った正直さ」ともいく、このプロセス。

正直さ、とは、自分の感情とニーズをきちんと表現することを意味する。(決して、言いたいことを全て口に出すことではない)そして、それを相手に届けるには、まず、相手に共感することから始める必要がある。私は、自分で推測した、仲間の感情とニーズを表現したうえで、自分の感情とニーズも思い切って表現してみた。

そしたら、何が起きたか。さっきまで、私を圧迫していた「ムリ、無理、無理」という気持ちがすっと消えたのである。11月10日までにはできないよ、ということを表現した途端、そして最悪11月末でもやむなしと覚悟した途端、胸のつっかえや強迫観念が消えた。そして、私の中にスペースができ、そして、ボランティアで翻訳をしようと思っていた、純粋な喜びが戻ってきた。

「喜びからできないことはしないほうがいい」

さらに、何が起きたか。その日、11月9日中に、私は意図せず、翻訳を終わらせることができたのである。「やらなければ」と思って、いやいや、やっていたときと比べると数倍の速さと、楽しさで取り組むことができた。

非暴力コミュニケーション(NVC)を唱えた、マーシャル・ローゼンバーグ博士の言葉に、「喜びからできないことはしないほうがいい」というのがある。今回、まさに、喜びからすることと、喜びからできないことの差を自分で実感することができた。

少し手間がかかり、そして、心理的ハードルがあっても、自分の感情とニーズを正直に表現することのパワーも体感することができた。

そして、それをしたからこそ、仲間ともより深いところでつながることもできた。もちろん、仲間の投稿の反応し、もがいていたのは、私のある意味ひとり相撲であって、仲間には、なんの落ち度もないこと、自明のことではあるが、念のため、書き添えておく。

(文責:中村 真紀)