【非暴力コミュニケーション】他人は自分の感情の原因ではない

「そうか、私の中に、まだ入社1年未満で、自分がまだまだできていない、気持ちがあり、そして、“いつも、なんでもできる自分でいたい”、という強い願いがあったのですね。そうか、そうなのか」

それは、彼女にとって、大きな気づきだったようだ。顔の見えないオンライン越しでも、ふっと肩の力が抜け、自分とつながる、そんな感覚が感じられた。その瞬間、今起きていることを、ちょっと違う見方で見る、そんなスペースが彼女の中で、できた気がした。

非暴力コミュニケーションのプロセス

彼女は、あるステークホルダーとの関係に悩んでいた。そのステークホルダーの発言が、すべて、彼女を攻撃しているように感じられる、ということだった。

観察から始める

今、私が学んでいる非暴力コミュニケーション(NVC:Nonviolent Communication)では、こんなとき、まず、相手が、何にトリガーされているのか、状況を客観的にみる、観察から始める。仮に彼女を、Aさん、ステークホルダーをBさんとさせてもらう。いろいろな話を総合すると、直近では、Bさんが、「こういうことが起きているのは、Aさんの動きが、適切じゃないからだよ」と発言したときに、Aさんの感情は大きく動いたようだった。ここでの肝は、「個人攻撃」という主観的な判断で語るのではなく、実際、具体的に、どんな場面、どんな発言で、Aさんの感情がトリガーされたのかを、丁寧に聞き出すことである。

感情を推察する

観察ができたら、次は、感情を推察する。「Aさんの動きが適切じゃない、と言われたとき、Aさんは、悔しかったの?」「悔しいというのとはちょっと違うなあ」「残念だったのかな?」
「はい、残念でした。でも、それより、もっと悲しい気持ちのほうが強かったかも」「そっか、Aさんの動きが適切じゃないって言われたとき、Aさんは悲しかったんだね」

感情を特定することは、その感情の裏にある、自分が大切にしたいこと、価値を知るのに、役立つ。非暴力コミュニケーション(NVC)では、その大切にしたいこと、価値を「ニーズ」と呼んでいる。そして、そのニーズは、全人類、誰にも、共通の普遍のもので、どんな人も、ニーズのレベルに降りたときに、つながりあうことができる、というのが、非暴力コミュニケーション(NVC)の基本的な考え方のひとつである。

感情は、ニーズを探るための標識のようなもの。ネガティブ(と思われる)感情があれば、それは、満たされなかったニーズを指し示しているし、ポジティブ(と思われる)感情があれば、それは、あるニーズが満たされていることを指し示していると考える。本当は、感情にネガティブもポジティブもなく、どちらも、自分のニーズを教えてくれる、大切な標識だともいえる。

ニーズを特定する

Aさんの感情がトリガーされた瞬間を観察で切り取り、そのときに、「残念、悲しい」という感情があったところまで、たどりついた。次のステップはニーズの特定だ。

「“Aさんの動きが適切じゃない”とBさんが言うのを聞いたとき、Aさんは、残念で、悲しい気持ちになったのは、どんなことを、Aさんが願っていたからだと思う?」

そこで、冒頭の発言になる。そのとき、Aさんが、「はっ」としたのがわかった。「そうか、私の中に、私がまだ入社1年未満で、自分がまだまだできていない気持ちがあり、そして“いつでもなんでもできる自分でいたい”という強い願いがあったのですね。そうか、そうなのか。」「そのことに、今、初めて気づきました。ありがとうございます」

彼女の言ったことを非暴力コミュニケーション(NVC)のニーズの言葉に置き換えると、彼女のニーズは「ニーズを満たすパワー(能力)」かもしれない。あるいは、前進や、成長、というニーズもあるだろう。価値の承認、というニーズもあるかもしれない。これらは、時と場合を問わず、どんな人でももっている普遍的なニーズである。そして、これらのニーズを満たす手段は、いくつもある。

セッションを始める前、彼女の心にあったのは「Bさんが私を個人攻撃する」という考えだった。自分の感情は、Bさんが原因でネガティブになっているという考え方である。しかし、セッションを通じて、それが、自分の中の「ニーズを満たすパワー」が満たされていないことで、Bさんの発言を「きっかけに」自分の感情がトリガーされた、ということに気づいたのだ。

他人の行動は、自分の感情の原因ではない

非暴力コミュニケーション(NVC)では、他人の行動が、自分の感情の「原因」になることは決してない、と考える。他人の行動は、あくまで、自分の感情をトリガーする、「きっかけ」であり、「刺激」でしかない。自分の感情が起こったのは、自分のニーズが満たされていないからであり、そして、自分のニーズを満たすのは、他の誰でもなく、「自分の責任」である。

初めて、この考え方を知ったときの、衝撃は今でも忘れない。本当にパワフルでラディカルな考え方だよなあ、と思う。そして、この考え方に出会ったことが、私の人生そのものを、大きく変えているといっていい。この話は、また追々していきたい。

そう、他人の行動は、自分の感情の「原因」には決してならないのである。

(文責:中村 真紀)