「今考えると、あの会社ってベンチャーだったよね。あそこで、私達、相当鍛えられたよね」
という友人の言葉は、私には「目から鱗」だった。私が30年以上前、新卒で入社した会社は西友というスーパーマーケットチェーンだった。しかも、それは、望んで入ったというよりは、まったくちゃんとした軸もなく、単に「読むことや書くことが好きだから」という理由で志望していた、新聞社群の試験に落ち、たった1社だけ受けていた一般企業が西友で(それも、無印良品が恰好いい。小売業なら女性も活躍できるかもなどといういい加減な理由から)、ありがたくも、そこが、入社を許可してくれたから、という理由からである。
西友という「ベンチャー企業」
しかし、友人がいうように、その会社は、比較的新しい会社で、堤清二さんという、変り者で先見性のある経営者がいて、世間的には、そんなに評価が高くなくて、だからこそ、新卒の大卒女子にもどんどん仕事を任せてくれる、という意味では「ベンチャー」だった。そして、偶然にも、最初に入った会社が、そこだったからこそ、複数の外資系で10年以上経営職をつとめる、という、今の日本の女子としては、なかなか珍しいキャリアを辿ることになったのだ、と、今さらながらに気づいたわけである。
それに気づくまで、実は、私は、未だに、最初の会社が西友だったことに、少しの劣等感やひけめを、未だに感じていたのかもしれない。それは、入社時に感じたことを、いつまでも引きずっていたからかもしれない。
マスコミ志望だ、なんてえらそうに言っておきながら、(こんな言い方はしたくないのだが)、スーパーマーケットになんかに入ってしまった。はっきり口には出さないけど、親も親戚も、がっかりしているような気がしていた。卒業式が3月25日で、多くの友人が海外卒業旅行を楽しんでいる中、大型新店がオープンするからと3月16日入社で働かされた。そして、西友の中の多くの同期が、「吉祥寺店」とか「三軒茶屋店」といった比較的、格好のいい都心店舗に配属され、同期も何十人もいるのに、なぜ私は田舎の古くて汚い「町田店」で、自分を含め、同期は大卒3人、高卒2人だけなのか。などなど、当時の私は、不満と失望でいっぱいいっぱいになっていた。こんな話を、謝恩会でした、と当時のゼミの助手が覚えているくらいに。
しかし、人生とは、自分がいいと思うこと、望むこと、気持ちがいいことが、プラスに働き、自分ががっかりすることやいやなこと、不快なことがネガティブに働くわけではない、というのが面白いところである。そもそも、いいや悪いは自分の勝手なジャッジメントなのであって、起きることはすべてニュートラル。そして、その起きたことをどう味わい、意味づけていくかによって人生が変わってくるのである。と今の私ならわかる。
ベンチャー企業だから1,2年目で大きな経験ができた
そう、不満たらたらで、ショックを受け、入社初日には、社員食堂の揚げ物のあまりの不味さに、吐いてしまったほどの私が、一か月後には、「大卒女子を育てるのを生きがいに感じている高卒課長」の下で、大学生活では感じなかったほどの、やりがいといきいきさをもって働くようになっていたのである。衣料品売り場に配属された私は、彼のものと、売り場の数値をたたきこまれた。わざわざ残業をして数値の読み方を教えてもらい、大事なプロジェクトには絡めてもらって、本社を訪問したりもした。何より、彼の、「私を育てたい」という強い愛情をまっすぐに感じたことが、私自身の仕事への姿勢を変えたのだと思う。
1年後には、ファッション専門店プロジェクトというわけのわからないプロジェクトに配属された。オフィスは千駄ヶ谷のマンション。そこで出会った、社外のファッション専門店からきた社長に、転勤1日目に「西友で学んだことは全部忘れてほしい」といわれ、面食らった。西麻布や成城に店を出した。西麻布には、計画になかった飲食まで作ってしまった。そして6億もの赤字を出して、そのプロジェクトはおしまいとなった。めちゃくちゃである。しかし、個人として考えたとき、こんなに豊かな経験があるだろうか。まさにスタートアップでの失敗体験である。入社2年目だなんて関係なくて。どんな仕事でもやらされた。経理の帳簿も徹夜で手伝ったし、棚卸の仕組みは私が考えた。商品につけるバーコードの仕組みを導入し、バーコードのついた値札を毎日自分で発行していた。会社とは何か、どういう風にまわるのか、全部見ることができた。大きな会社の一部門に配属されたたら、絶対味わえない体験である。
プロジェクトが解散になったときは、悲しかった。仲間の多くが解雇された。私は本社所属だったので本社に戻してもらった。でも、同期や、役員に「おまえの会社がお金を無駄遣いした」と指摘され、涙したこともあった。あの6億があったから、中村真紀が育ったんだ。
会社にとって有益な投資だったと言わせてみせると、密かに心に誓った。あの誓いがあったから、私は、無謀にも経営者をめざしたのだった。
私は、西友が世間的に評判の高い、いろいろ整った、誰もがうらやむ会社ではなかったことに、ひけめや劣等感を感じていた。しかし、友人の言葉をきっかけに、はっきりわかったのは、大きくて、立派な会社が、必ずしも、自分の成長に役立つわけではないということである。そう、最初に入った会社がちゃんとしていなかったらこそ、今の私がある。
(文責:中村 真紀)