男性がありのままで生きられる社会になれば、女性活躍が進む

女性がいきいきと活躍できる社会にするためには、男性がもっとのびのび、自由に、ありのままに生きられる社会を作るのが早道だ。最近、私はそんな風に思う。

私は、30年以上企業に勤め、10年以上、複数の外資系で経営者をしてきた。企業における女性活用については、意見もあるし、いろいろな体験もしてきた。女性活用という言葉に対する反応も、年とともに変遷した。最初は、「女性活用」という枠の中でひとくくりにされることに反発していた。私が活躍しているのは「女性だから」ではなく、「中村真紀」だからだ、なんて思っていた。

女性活躍の障壁

しかし、ある程度歳もとり、さらに大きな責任を任されるようになると、違う現実も見えてくる。なんだかんだいっても、女性が企業社会で活躍するには、様々な障壁がある。実際、入社したときには50対50だった男女比率が、役職があがるにつれて、男性比率があがるのはなぜなのか。それは男性より女性の能力が低いからなのか。そうではないだろう。だとしたら、何らかの仕組み上の、あるいは、意識上の課題があるのは明らかであり、それは解決すべきではないか。私は、女性活用を推進する社内の委員会や社外のNPOでの活動に邁進することで、そういう課題を解決することに情熱を持つようになった。

50歳を過ぎたころ、はじめて、最初の会社でのキャリアアップに限界を感じるようになった。メジャーな外資は、何せ、経営陣を「若く」保ちたがる。40代の自分は、若くて女性でアジア人というだけで、その会社からみたら、経営陣に育てたいハイポテンシャルだった。そういう風にみられていることは意識していたし、利用したとも思う。しかし、ある程度は成長したものの、その頃には、彼らからみた、弱点なんかも見えてきて。そして、直属の上司とは相性が悪く50を過ぎた女性になったとたんに、扱いが変わるという現実を痛感した。

その頃から同様に、会社の価値観と自分の価値観が(当たり前だが)、必ずしも一致しないことも痛感しはじめた。それまでの自分は上昇気流のっていたこともあり、その不一致を無視していたのか、それともうかれて気づかなかったのか。

活動の幅が広がると会社の出来事が小さなことに思える

いずれにしても、私は、会社以外の活動や、コミュニティに熱をあげるようになる。ボランティアもあったし、単純に食を楽しむ、旅を楽しむ活動もあった。所属するコミュニティは複数になり、私の人生に占める、会社以外のコミュニティトータルが占める比率は、どんどんあがっていった。ある意味、会社だけが人生じゃないやい!という開き直りともいえる。

そうすると、何が起きるか。会社で起こることが小さなことにみえるのである。会社で落ち込む事象があったと仮定しよう。もし、自分の人生がほぼ会社で占められていたら、そこで起きるダメージがそのまま人生へのダメージになる。仮に会社で30%のダメージを受ければ、人生も30%のダメージを受ける。しかし、もし人生に占める会社の比率が30%しかないのだったら、会社で30%のダメージを受けても人生では9%のダメージしか受けない。

男性は縛りがあってかわいそう

この現実に気づいたとき、私は、なぜか、男性はかわいそうだ、と思った。多くの会社員の男性は、会社に向く・向かない、仕事が好き・嫌いにかかわらず、会社の中で少しでもえらくなって、少しでも給料を稼いで、そして家族を養うことが当たり前という価値観の中で生きている。そんな縛りがある中、「会社だけが人生じゃないやい!」という開き直りを男性もできるだろうか。あるいは、そもそも会社勤めに向いていない男性は、どうやって会社人生を生きてきたのだろうか。

女性は自由

それに比べると、いろいろあるとはいっても女性は自由である。まず、基本的に「家族を食べさせなければいけない」とは思われていない。今の時代、女性は専業主婦も選べるし、フリーランスも選べるし、キャリアばりばりでいくことも選べる。どれをやっていたとしても、基本、まわりの人から「なぜ、そんなことをしているのか」などとみられる心配はない、ありがたい世の中である。しかし、男性に、同じ自由があるだろうか?女性に専業主婦が向いている人がいるように、男性にも専業主夫が向いている人がいるのではないだろうか?彼に、そのようにありのままに自由にのびのび生きる自由はあるだろうか?そんなことを考えるようになった。

男性がのびのびできれば女性も活躍しやすい

そんな窮屈な男性が、のびのび活躍している女性をみたら、なんと思うだろうか?あんまりいい気持ちはしないのかもしれない。ざわっとするのかもしれない。そうしたら、ちょっと意地悪なひとことでも言いたくなってしまうかもしれない。

あるいは、会社が行っていることに、違和感を感じたとしたらどうだろう?それを口に出す勇気はあるか?いや、まずは、まわりの期待に応えて、男性としてのプライドを守るためには、会社にたてつくなんてリスクはとらないではないだろうか?そういうことが積み重なって、不正があっても、声をあげない体質ができあがっていくのではなかろうか?

私には、明らかに、今、より、不利な環境にいるのは男性に思える。男性が自由にのびのび、会社で出世しなくても大きな顔で、幸せに生きられる社会ができたとき、きっと企業や政治の世界でバリバリ活躍したい女子も活躍しやすい環境ができているのではないか、そんな風に思うのである。

(文責:中村 真紀)