代表あいさつ

2020年9月2日付で、株式会社「まんま」を設立いたしました。

2020年6月に、これまでご縁を感じ、足掛け約4年の間、毎月のように通った福岡県糸島市に、海の見える拠点を確保し、2拠点生活を始め、2020年12月には、東京の拠点を撤収し、完全に、糸島市に移住しました。

それまでの30年余りは、小売業界、そして物流業界で仕事をしてきました。特に、直近の約10年は外資系企業の経営者という立場で仕事をしてきました。

ここで少し、今回の決断に至った経緯をお話しさせていただきます。

私は2011年の東日本大震災を機に、自分が社会やコミュニティ、特に被災地に対してできることは何なのかを意識するようになりました。そんな中、2015年から陸前高田のみなさんに英語を教える一般社団法人「はなそう基金」へ参加するようになり、同時期にこちらもご縁があって、訪れることとなった福岡県糸島に私はほれ込んでしまい、毎月のように通うようになりました。これらの事は、私の世界観、人生観を大きく変えていきました。

2015年は仕事の上でも、新しい挑戦をしました。長年勤めたウォルマート・西友を卒業し、HAVIの社長に就任。私の日常は、平日は会社人として仕事に邁進し、週末や休暇を利用して、陸前高田や糸島へ、他にも日本のみならず、世界中のあちこちを旅行し、自分の生活は充実していると心から思っていました。

そこにコロナ感染拡大が起きました。それまで、週末は殆ど家におらず、平日の夜も友人との外食を楽しんでいた私が、こもりきりの生活に耐えられるのか最初は不安でした。しかし、予想に反して、その生活は思ったよりも楽しいものでした。

しかし、もちろん全てが満たされたわけではありません。大好きな陸前高田や糸島に行くことができない。自然に触れることができない。それらは自分にとって不可欠なんだとの思いがとても強くなりました。自分自身の内側をじっくりとみつめる時間がとれた事で、人生で本当にやりたいことは何なのかを考えさせられました。そして出した答えが、会社人人生を卒業し、大好きな糸島に住むという決断でした。

糸島を最初に訪れた時、まず、その自然の美しさに心を奪われました。美しい海、豊かな緑、山の魅力も楽しめます。そして、何より「人」が素敵です。豊富な地魚をはじめ食べ物も本当においしい。立地も最高です。大好きな唐津、伊万里や有田へもすぐ、フェリーで海を渡れば壱岐島もすぐの所にあります。訪れるほどに、「糸島」は、観光ではなく住んで魅力を味わう場所だと確信しました。

不安はもちろんあります。しかし、今の私は、自分のありのままを受け入れれば、道は自然に開けると考えています。既に、お気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、その気持ちから新会社を、「そのまんま」の自分で生き抜くとの意味を込め、「まんま」と名付けました。

これからは、大好きな糸島の自然に囲まれながら、自分の魂が望む生き方をしたいと考えています。それが何なのか、まだまだ模索中とはいえ、いくつか考えていることはあります。軸となるのは、ありのままの自分で生きること、そしてありのままで生きていきたい多くの人を応援することです。

その中で、私の、これまでの経営者としての経験、そして女性として企業社会で生きてきた経験を活かし、企業で働く女性経営者、管理職を支援することをしていきたいと考えています。

また、経営者としての経験と知見を活かし、応援したい組織に対する、アドバイザーのようなこともしていきたいです。

ありのままの自分を生きたい個人に対しても、今までの経験や、学んでいるコネクションプラクティス、非暴力コミュニケーション(NVC)、IFS(Internal Family Systems)などを必要に応じて使いながら、講座や個人セッションをしていきたいと考えています。

そして、最後に、大好きな糸島エリアや、糸島で暮らす人々を応援するようなこともしていきたいです。

ひとつの企業に勤めるというライフスタイルから、独立して複数のやりたいことを、ポートフォリオとしてやっていくというライフスタイルへの転換の最中で、試行錯誤中ですが、自分の魂の願いに正直に、失敗を恐れず、あれこれトライする中で、自分なりの新しい働き方、新しい貢献の仕方をみつけていきたいと考えています。

どうか、引き続きよろしくお願いいたします。

2020年12月13日

中村真紀

2020年9月2日付で、株式会社「まんま」を設立いたしました。

2020年6月に、これまでご縁を感じ、足掛け約4年の間、毎月のように通った福岡県糸島市に、海の見える拠点を確保し、2拠点生活を始め、2020年12月には、東京の拠点を撤収し、完全に、糸島市に移住しました。

それまでの30年余りは、小売業界、そして物流業界で仕事をしてきました。特に、直近の約10年は外資系企業の経営者という立場で仕事をしてきました。

ここで少し、今回の決断に至った経緯をお話しさせていただます。

私は2011年の東日本大震災を機に、自分が社会やコミュニティ、特に被災地に対してできることは何なのかを意識するようになりました。そんな中、2015年から陸前高田のみなさんに英語を教える一般社団法人「はなそう基金」へ参加するようになり、同時期にこちらもご縁があって、訪れることとなった福岡県糸島に私はほれ込んでしまい、毎月のように通うようになりました。これらの事は、私の世界観、人生観を大きく変えていきました。

2015年は仕事の上でも、新しい挑戦をしました。長年勤めたウォルマート・西友を卒業し、HAVIの社長に就任。私の日常は、平日は会社人として仕事に邁進し、週末や休暇を利用して、陸前高田や糸島へ、他にも日本のみならず、世界中のあちこちを旅行し、自分の生活は充実していると心から思っていました。

そこにコロナ感染拡大が起きました。それまで、週末は殆ど家におらず、平日の夜も友人との外食を楽しんでいた私が、こもりきりの生活に耐えられるのか最初は不安でした。しかし、予想に反して、その生活は思ったよりも楽しいものでした。

しかし、もちろん全てが満たされたわけではありません。大好きな陸前高田や糸島に行くことができない。自然に触れることができない。それらは自分にとって不可欠なんだとの思いがとても強くなりました。自分自身の内側をじっくりとみつめる時間がとれた事で、人生で本当にやりたいことは何なのかを考えさせられました。そして出した答えが、会社人人生を卒業し、大好きな糸島に住むという決断でした。

糸島を最初に訪れた時、まず、その自然の美しさに心を奪われました。美しい海、豊かな緑、山の魅力も楽しめます。そして、何より「人」が素敵です。豊富な地魚をはじめ食べ物も本当においしい。立地も最高です。大好きな唐津、伊万里や有田へもすぐ、フェリーで海を渡れば壱岐島もすぐの所にあります。訪れるほどに、「糸島」は、観光ではなく住んで魅力を味わう場所だと確信しました。

不安はもちろんあります。しかし、今の私は、自分のありのままを受け入れれば、道は自然に開けると考えています。既に、お気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、その気持ちから新会社を、「そのまんま」の自分で生き抜くとの意味を込め、「まんま」と名付けました。

これからは、大好きな糸島の自然に囲まれながら、自分の魂が望む生き方をしたいと考えています。それが何なのか、まだまだ模索中とはいえ、いくつか考えていることはあります。軸となるのは、ありのままの自分で生きること、そしてありのままで生きていきたい多くの人を応援することです。

その中で、私の、これまでの経営者としての経験、そして女性として企業社会で生きてきた経験を活かし、企業で働く女性経営者、管理職を支援することをしていきたいと考えています。

また、経営者としての経験と知見を活かし、応援したい組織に対する、アドバイザーのようなこともしていきたいです。

ありのままの自分を生きたい個人に対しても、今までの経験や、学んでいるコネクションプラクティス、非暴力コミュニケーション(NVC)、IFS(Internal Family Systems)などを必要に応じて使いながら、講座や個人セッションをしていきたいと考えています。

そして、最後に、大好きな糸島エリアや、糸島で暮らす人々を応援するようなこともしていきたいです。

ひとつの企業に勤めるというライフスタイルから、独立して複数のやりたいことを、ポートフォリオとしてやっていくというライフスタイルへの転換の最中で、試行錯誤中ですが、自分の魂の願いに正直に、失敗を恐れず、あれこれトライする中で、自分なりの新しい働き方、新しい貢献の仕方をみつけていきたいと考えています。

どうか、引き続きよろしくお願いいたします。

2020年12月13日
中村真紀

コラム