糸島に魅き寄せられ、働き方も人生も大きく変わった移住

※代表中村真紀インタビュー。本記事は、西日本シティ銀行糸島支店開設における特設サイト内記事を転載しております。

シャッター街になってしまった商店街に新たに生まれる「糸島の顔のみえる本屋さん」。この取り組みをはじめたのは、2020年6月に東京から移住してきたばかりの中村真紀さんです。東京でバリバリのキャリアを積み重ねていた中村さんが、なぜ糸島に移住を決めたのか。お話をうかがいました。

糸島は環境と利便性のバランスが最高の土地

−−ご出身はどちらですか。

生まれは東京です。10歳ごろまでは荻窪で、そのあとは横浜で育ちました。大学は東京、社会に出てからも研修で1年アメリカにいた以外はずっと首都圏在住でした。

大学卒業後は、スーパーマーケットの西友に就職しました。その後カルフールを経て、ウォルマート傘下になった西友に戻って。福岡に移住する3年前からは、日本マクドナルドの物流やサプライチェーンマネジメントを委託されているHAVIサプライチェーン・ソリューションズ・ジャパンの代表を務めていました。仕事としてはずっと流通業界ですね。

−−糸島には、どういうきっかけで移住されたのでしょうか。

もともとは、東京から移住した友人のSNSの投稿でした。彼女のSNSの投稿が本当に毎日楽しそうで、「糸島が好き!」という気持ちがすごく伝わってきたんですね。それで興味を持って。もともと私自身旅行も好きで九州も好きだったこともあって、2016年の5月に一泊二日で旅行に来たのが最初です。

実はその1年ほど前に、長崎の五島に旅行で行ったんですよ。ここがまたあまりにも美しいところで、生まれて初めて「東京を離れて五島に移住したい!」と思ったんですが、現実問題として交通の便があまりよくないことと、どうやって生計を立てるかというイメージが湧かなかったので実行には移しませんでした。

自然の美しさだけを見ると糸島よりも五島のほうが勝るところもありますが、住みやすさやアクセスの良さ、総合的なバランスを考えると糸島への移住のほうが現実味がありましたね。とはいえ、私は「今すぐ移住したい!」という考え方ではなくて。自分がその土地に合うのかどうか、相性を確かめたいなと思って、2016年からほぼ毎月のペースで糸島に来るようにしていました。今宿のシェアオフィス「SALT」の会員になって、仕事はSALTでして。

SALT横にある宿泊施設のテラスからの眺め

糸島以外にも、東日本大震災の被災地・陸前高田市にボランティアに行っていたり、週末は東京にいないのが当たり前の生活になっていました。平日は東京で仕事、週末は糸島やほかのところに出かけて、ある種自分のなかでバランスが取れた状態になっていました。

2020年1月までそんな調子だったんですが、新型コロナウイルスの流行が全国的に広がったので、2月から糸島に行くのを見合わせてたんです。そしたら強烈な「糸島ロス」になってしまいまして……。東京のコンクリートジャングルのなかで、仕事だけしてるのはもう無理!と感じてしまって。仕事に対しても、週末の糸島やボランティアでバランスをとらないとやり続けられないんだということに気づいてしまいました。気づいちゃうと、もう続けられなくなっちゃったんですよね。やりがいのある仕事だとは思ってたんですが。

「運命」を感じた海の見える家探し

−−いわゆるワークライフバランスの、「ライフ」の部分がスッと消えてしまったわけですね。

そうなんです。しかも、それがいつまで続くかわからない。世の中も大きく変わっていくし、人生のリスクをとるなら今かなって思って、会社を辞めて移住しようと決めたのが2020年の5月でした。

移住にあたって決めていた条件が、「海が見える家」だったんですね。さすがに糸島も移住者人気が高い土地柄ですし、そんなに都合のいい物件が出てくるはずもない。ある程度長期戦を覚悟して、いい物件が見つかったら会社に辞める相談をしようと思っていたら、なんと2件目で条件通りの物件が出てきてしまって。これはもうご縁だ、糸島に呼ばれてるんだなと勝手に確信しました(笑)。不動産屋さんも、「糸島で海が見える家、となると探してる人は大勢いるんですが、タイミングですからあるときはあるんです」と言っていましたね。

▲糸島で出会った「海が見える家」からの眺め

すぐに契約したので、6月からは実質的に糸島と東京の二拠点生活をスタートしていました。会議もオンラインなので、こちらから言わなければ東京にいるのかどうかはわからないじゃないですか(笑)。6月半ばくらいに上司に退任の相談をして、退任日が決まったのが7月。それから引き継ぎして9月に退任して、11月まではアドバイザー兼引き継ぎというかたちで会社に籍を置きつつ、完全に糸島に移住したのが2020年の12月でした。

−−今は、どのようなお仕事をしていらっしゃるのでしょうか。

前職を退任して、独立して「株式会社まんま」という会社を立ち上げました。どういう仕事か、というのは一言では説明しづらいんですが……。今は、ひとつの仕事をフルタイムでやる、という発想はやめたんです。「ポートフォリオワーカー」という言葉があります。たとえばAという仕事は、すごく楽しいけど収入は少ない。逆にBという仕事は面白みはないけど手堅く収入がある。これを組み合わせて、トータルで人生のポートフォリオのバランスをとっていこう、という考え方ですね。

たとえば、私は今「ラヂオいとしま」で番組を2つ持っています。自分で取材もするのでけっこうな時間を割いてるんですが、まったくのボランティアなので無給。でも、とにかく楽しい。それと糸島産のブドウでワインを作ろう、というプロジェクトにも参加していますが、これも3〜5年後をめざして、今は勉強会を開催しているだけなので、完全なボランティアワークです。こういうことをしながらやりがいを満たしている一方で、これまでの経験を生かして経営アドバイザーや企業の顧問をさせていただいていまして、こちらはもちろん嫌いというわけではないんですが、プロフェッショナルとしてパフォーマンスをきちんと出す種類の仕事ですね。

地域を元気に、コミュニティが生まれるハブを作りたい

今、新しく取り組んでいる「糸島の顔がみえる本屋さん」も、やりがい重視の仕事ですね。参考にしているのは、東京・吉祥寺にある「ブックマンション」。ここは70人以上の方が本棚のオーナーとして自分の好きな本を棚に置き、いわば自分のプレゼンをする場のようになっています。

「糸島の顔のみえる本屋さん」店内の様子

私たちの「糸島の顔がみえる本屋さん」は、クラウドファンディングですでに60棚以上のオーナーが決まっています。どんな本が並んで、どんな世界観が広がっていくのか今から楽しみです。棚のオーナーはお店に立つ権利も持っているので、店番も日替わり。リアル店舗でお店をやることのハードルを下げる仕組みになっていると思います。

吉祥寺のブックマンションと違って、私たちの「糸島の顔がみえる本屋さん」はオーナーさんのなかに糸島以外に住んでいる方向けの「遠隔枠」を作ったのですが、この枠がいちばん早く埋まったのは予想外でしたね。糸島の関係人口を増やす、ハブのひとつにしたいと考えています。

それに、本棚のオーナーさん同士のコミュニティも作っていきたい。すでに、オーナーさんから「読書会をやりたい」などアイディアもいただいています。「糸島の顔がみえる本屋さん」に人が集まるようになれば、コミュニティとしてどんどん自立して発展していくようになると思います。

−−最後に、糸島に移住を考えている方にアドバイスをいただけますか。

私のように毎月とまではいかなくても、何度か足を運んでみることは大事だと思います。合う合わないはどうしてもありますし。それと、地元のコミュニティと交流する機会を持つといいですね。私は糸島でキーパーソンになる人たちに紹介してもらったことは非常に大きいと感じています。

(Photo by Kazuaki Koganemaru)