コネクションプラクティスの視点 ―ハートは恐れない―

こちらは、コネクションプラクティスの認定トレーナー(ラスール)として、日々の出来事を、コネクションプラクティスの視点から取り上げるシリーズです。

※コネクションプラクティスの視点とは

 コネクションプラクティスとは、非暴力コミュニケーション(NVC)の「共感」と、ハートマス研究所の「ハート・脳洞察」の相乗効果で、自分自身、まわりの方とつながり、人生の課題を解決し、人生を豊かに生きるためのスキルです。取り上げる話題は、日々の生活の中で、コネプラに関係あるなあ、と思ったことになります。場合によっては、「共感だけ」「ハート・脳洞察だけ」にかかわる話題の場合もあります。

発信することの責任感、重み

昨年12月からnoteを始めました。noteを始めて、身体感覚で理解したことのひとつは、発信をするということの責任感、重みでしょうか。そもそも、投稿している原稿の多くは、昨年夏に、ちょっとした気まぐれから受けてみた、ライティングスクールでの、週1回の課題投稿が元になったものが多いです。

ライティングスクールの課題投稿は優秀賞に選ばれるとスクールが運営しているwebサイトに掲載されます。しかし、webサイトに掲載されたとしても、私はそれを自分のFacebookなどでシェアするつもりも全くなく、ほぼ、知り合いには読まれない状態でした。

当初、その原稿をさっと読み直して、そのままnoteやwebサイトに掲載していました。しかし、自分のnoteやwebサイトの記事をFacebookで紹介することになると、思ったより多くの方が読んでくださっていることがわかりました。嬉しいのだけど、今までとは違う、プレッシャーのようなものを勝手に感じるようになってきました。

コネクションプラクティスの視点で記事を書こうと思えば、どうしても、元に、何かざわっとしたできごとを持ってくること、しかも、相手のいるざわっとしたできごとが起点になることが多くなります。

匿名にしていたり、事実を抽象化したりはしているものの、当人が読めば、自分のことだとはすぐにわかるでしょう。その人を傷つけるようなことは書いていないつもりですが、もしかしたら、気分を害するかもしれません。

あるいは、スクールで習ったような、読者が好奇心を持つような、タイトルづけ、とか、ワードの選び方も、ある状況の方から見れば、気分を害する表現になってしまっているかもしれません。

人にお見せする原稿を書くなら、当たり前のこうしたことが、急にリアリティを持った、身体感覚で感じるようになりました。一方、そういうことに配慮しつつも、勇気を出して、自分を表現することも、大切にしたいことだと思います。それができないのなら、そもそも、文章など書かなければよいのです。

「投稿することの恐怖」をコネクションプラクティスの視点で見ると

それが、極端に出たのが、先日投稿させていただいた、M元首相の発言をきっかけとして考えたことの原稿である。自分の中でアイデアが湧いて書いてはみたものの、友人の投稿を見ると気後れがして、投稿するのが怖くなりました。

こういうときこそ、コネクションプラクティス。私は自分の感情(不安、おそれ、こわい、心配)とニーズ(受け入れてもらうこと、ありのままの自分を見てもらうこと)を特定したうえで、心臓とハートが同期したコヒーランスの状態に、呼吸を整えてなったあと、ハート/脳洞察をしてみました。

コネクションプラクティスでは、アタマ(脳)は恐れるけれど、ハートは恐れないといいます。

洞察の結果は、「信頼するA子さんに聞く」。A子さんは、この件に関して、とても深い投稿をされていたおひとりだ。そして、おかげ様で普段からとても良いおつきあいをしていただいている。洞察を得たら、行動するのが鍵。私は早速A子さんに原稿を見せました。

結果は「ぜひ、多くの人に読んでいただきたいよ。」ほっとし、嬉しかったです。そして、おかげさまで、勇気を出して投稿をすることができました。

このときの、私の恐れは、正直、「大事な誰かの気分が害される」というような思いやりからの怖れではなく、「まきさんって、本当浅はかね」などと、批判されたり、馬鹿にされたりするのがこわかったのでした。しかし、あそこに書いたことは、浅はかであれ、なんであれ、私の考えたこと、思ったことであり、それが怖くて言えないとなると、私は自分の素直な考えを表現していくことが、この先難しくなってしまうでしょう。

やはり、ハートは恐れませんでした。そして、叡智を授けてくれた。おかげで、私はまた、一歩、自分の中のエッジを乗り越えることができました。

<文責:株式会社まんま 代表 中村真紀>