コネクションプラクティスの視点―「つながりの道」父との思い出―

こちらは、コネクションプラクティスの認定トレーナー(ラスール)として、日々の出来事を、コネクションプラクティスの視点から取り上げるシリーズです。

※コネクションプラクティスの視点とは

 コネクションプラクティスとは、非暴力コミュニケーション(NVC)の「共感」と、ハートマス研究所の「ハート・脳洞察」の相乗効果で、自分自身、まわりの方とつながり、人生の課題を解決し、人生を豊かに生きるためのスキルです。取り上げる話題は、日々の生活の中で、コネプラに関係あるなあ、と思ったことになります。場合によっては、「共感だけ」「ハート・脳洞察だけ」にかかわる話題の場合もあります。

2月4日・5日、6日・7日はオンラインにて、1日6時間×2回をで、コネクションプラクティス基礎コース2「つながりの道」を2セッション連続でお届けしていました。

コネクションプラクティス講座「つながりの道」とは

「つながりの道」とは、自分以外の大切にしている誰か、との深い対立を扱うワークです。対立が起きたのが、過去でも大丈夫ですし、相手がもう亡くなっていても、ワークとしては成立します。また、自分の中の対立する異なる考えを使ってワークすることもできます。自分の中に、ひっかかっている対立を丁寧に扱うことで、自分自身が癒され、相手とつながり直すことができる、とてもパワフルなワークです。

今回の2つのセッションでは、すべての受講生さんが、かなり関係の近しい方との深い対立について勇気を持って扱う決断をしてくださいました。そして、ワークのあと、それぞれが、それぞれの気づきを持って帰ってくださり、私もトレーナーとして、本当に嬉しく、ほっとしました。

そればかりでなく、デモンストレーションで、私自身も今まで扱ったことのない、父とのわだかまり、を取り上げることができました。今日はそのことについて、少し書いてみようと思っています。

父との対立 ―見舞いに行かなかった自分―

私は長子として生まれました。長子あるあるですが、両親とも、深くて大きい愛情を注いでくれましたが、初めての子供への期待や不安からか、高い理想を持って、厳しい育て方をされたのではないか、とも思っています。

そして、私自身が、非常に動物的本能の強い子供だったため、親に何かを強制される、ということについて、身体が、無条件に反発する、というような経験を何度もしました。今、非暴力コミュニケーション(NVC)を学び、創始者であるマーシャル・ローゼンバーグの言葉に心を動かされるのは、マーシャルが、親子であるとしても、人と人は対等(Power with)の関係であり、誰も他の誰に何かを報酬や罰で強制することはできない、ということを何度も何度も繰り返し説いていることにあると思います。

というわけで、親の愛情に確信を持ちつつ、その幸せさを知りつつも日々は親との闘いの毎日、というのが、私の日常でした。そして、社会人2年目のある日、門限を守らず、夜遊びを繰り返す私に、ついに父が切れ、家を追い出されるという事態になりました。

それ以来、仕事や遊びに忙しいこともあり、私は両親のケアを殆どしたことがありません。両親が九州に引っ越してからは「旅行をしたい」という自分勝手な理由で、年に1-2回は遊びに行くようになりましたが(そして、それが今の私の糸島移住につながっていると思いますが)、妹や弟に比べると、私と両親の交流は圧倒的に少ないものでした。どこかで、私は、「だってあなた達が追い出したのだから、私も自由に生きさせてもらうわ」くらいの、生意気なことを考えていたのだと思います。

さて、そんなある日、父が、車を運転中に脳梗塞になり、そして、交通事故を起こして(幸い相手の方に怪我はなかったのですが)、集中治療室に運ばれるという、思ってもみなかったことが起こりました。

しかし、私は、そのとき、1度たりとも、お見舞いに行かなかったのです。妹や弟はそれこそ、仕事を休み、飛行機代を費やして、何度も九州を訪ねていました。しかし、私は、仕事が「忙しい」の1点張りで、1度たりとも、見舞いに行くことはなかったのです。

そのことは、私の記憶のどこかに封印されていました。しかし、コネクションプラクティスを学ぶことで、私の心が開いてきているのか、なぜか、突然、そのことを思い出し、今回のデモンストレーションで取り上げてみようという気になったのです。

ワークの中では、まずは、対立に関して、相手と自分を思いっきり非難することから始めます。(非暴力コミュニケーション<NVC>業界用語でいうところのジャッカルです)。この相手と自分への非難をしっかりすることで、このあと、自分、相手とつながるエネルギーになります。

そして、自己共感の道、相手への共感の道、統合された正直さの道の3本を身体を使って丁寧に歩きます。その道の最初で、クィックコヒーランスというテクニックを使って、ハートを感謝で満たし、ハートと脳を同期させた、落ち着いた状態を作るのもポイントです。

見舞いに行けなかったのは父を「尊敬」していたから

この自分への共感の道を歩いたとき、私が、父の見舞いに行けなかったのは、弱ってしまった父を見るのがこわい、という感情だったからだ、ということに初めて気づきました。私にとって父はこわいけれど、尊敬できる、強い存在だったのです。強い存在だからこそ、安心して反発しまくっていたのに。突然、病気になって、弱い人になってしまった父という存在に戸惑いを感じ、受け入れることができなかったのだ、ということに初めて気づきました。私にとってそのとき、「尊敬」というニーズが生き生きしていたのです。

一方、そのときの父の感情を推測すると、悲しくて、残念で、さみしかったのだろうと思われます。自分が大変な目にあっているときに、愛している(父と私は顔もそっくりで、表には表さなくても、私のことを愛してくれていたのは自明でした)娘が見舞いにもこないなんって、どんなに悲しかったことだろう、と今ならわかります。きっとそのときの父には「つながり」「思いやり」「大事にする・される」といったニーズが生き生きとしていたのではないかとも思います。

2人の統合された正直さの道を歩く前に、ハート/脳洞察をすると、父のお墓と父が好きだった麦焼酎の「二階堂」イメージが出てきました。

とてもとても時間がかかってしまったけれど、ちかいうちにゆっくり、二階堂を持って父のお墓に行き、父と語ってこようと思います。

私がこのことに、今に至るまでふたをしていたひとつの理由は、父の見舞いに行かなかったことに「人でなし」「人間としてなっていない」「恥ずかしい」という自己非難をしていたせいもあります。そんな恥ずかしいこと、とてもじゃないけれど、認めたくもないし、人にも知られたくないと思っていたかもしれません。

しかし、コネクションプラクティスでは、正しいとか間違っているというジャッジメントではなく、ただ、そのときの状態、そのときの感情、その奥にある、人間に共通な普遍的なニーズに着目します。

どんな人の奥にも美しい人間性、他者への思いやりがある。そのことについて、学び始めたからこそ、今までふたをしていた、父とのわだかまり、についてワークすることができたのだなあ、と思います。そして、そのワークをしたことで、少しスペースができた、自分の心の状態をしみじみ味わっています。

<文責: 株式会社まんま 代表 中村真紀>