【コネクションプラクティスの視点】小さな違和感を大事にする

コネクションプラクティスの認定トレーナー(ラスール)の中村真紀です。

このシリーズでは日々の出来事を、コネクションプラクティスの視点から取り上げます。

※コネクションプラクティスの視点とは

 コネクションプラクティスとは、非暴力コミュニケーション(NVC)の「共感」と、ハートマス研究所の「ハート・脳洞察」の相乗効果で、自分自身、まわりの方とつながり、人生の課題を解決し、人生を豊かに生きるためのスキルです。取り上げる話題は、日々の生活の中で、コネプラに関係あるなあ、と思ったことになります。場合によっては、「共感だけ」「ハート・脳洞察だけ」にかかわる話題の場合もあります。

コネクションプラクティスはつながるための練習、実践

コネクションプラクティスって何?コネクションはつながり。プラクティスは練習とか実践。文字通り、つながるための練習、つながるための実践という意味合いがあります。

私が提供しているコネクションプラクティス基礎講座では、自分とつながる、相手とつながるための、基本的なスキルをお伝えさせていただいています。とてもシンプルなスキルですが、知識として持っているだけでは、あまり役に立ちません。そのスキルを、練習すること、実践することを繰り返す中で、自然と力がつきます。そして、人生を豊かにすることに役立つ、とても実用的なスキルだと思っています。

日々の実践とは何でしょうか。それは、日々、毎時、毎分、毎秒、自分の感情の動きに敏感になること。そして、違和感を見過ごさずに、コネクションプラクティスのスキルを使って、アクションを起こすことだと思っています。

コネクションプラクティス事例

私自身の、最近の具体的な事例をご紹介します。

コネクションプラクティス仲間とのSNSグループでのやり取りで、私には、ちょっと「ざわっと」くる表現がありました。そのときの、自分の感情に名前をつけるとしたら、「さみしい」「がっかりした」というような感じです。それが、すごく強い感情か、というと、そこまでではなかったです。ちょっと「違和感」を感じる程度。

以前の私だったら、まず、その感情に気づかなかったかもしれません。あるいは、気づいたとしても、「いちいち、こんなことを気にしていたら、面倒くさい」と思って、無視したり、抑圧していたりしたかもしれません。

感情に名前をつけニーズを特定する

今回、私はどうしたか。まず、自分で自分の感情に名前をつけ、ニーズを特定し、若干スペースを作ったあと、相手の方の感情とニーズも推測する、共感というプロセスを試みました。(※このプロセスは、非暴力コミュニケーションのプロセスです)

その上で、簡単に感謝できることを使って、ゆっくり呼吸をし、心臓と脳の波動を同期させる「クィックコヒーランス」というテクニックを使って、自分を落ち着いた状態(コヒーランスの状態)に持っていきます。その上で、自分のハートに「私は何を知ればいいですか?」という問いかけをしました。これを「ハート・脳洞察」といいます。(※クィックコヒーランスとハート/脳洞察はハートマス研究所が開発したスキルです)

「ハート/脳洞察」を使うと、自分の中にある「最高の叡智」にアクセスすることができます。よく「直観」とか「ひらめき」と呼ばれるものがあります。それが、突然ひらめくのを待つのではなく、意識的に、アクセスすることができるのです。

洞察の結果は、「正直に表現する」

つまり、その違和感を見過ごさす、相手の方に、正直に表現をする、ということだと理解をしたので、私は、洞察に基づいてアクションを起こしました。

その仲間に、その方がその投稿をしたときの、感情とニーズを推測した上で(このプロセスも「共感」といいます)、私が投稿を見たとき、「さみしくて」「がっかりした」。それは、私が、「平等な関係」というニーズを大切にしたいからだ、とお伝えしました。

すると、すぐにその方は、私が「さびしくて、がっかりした」のは、「含むこと」「尊重」「仲間」「協働」なども大事だったからですか?と共感で返してくれました。

さらに、なぜ、その投稿をしたのかの背景を説明してくれました。それは、私が「思い込んでいたストーリー」とは真逆のものでした。

それを理解したとき、私の中の違和感はすっと消え、彼女とつながりあえたことへの喜びが湧いてきました。と、同時に、同じ事象を見ても、どんな「前提・ストーリー」を持っているからで、解釈の仕方がまったく違うものになるのだ、という当たり前の事実に改めて気づきました。

小さな違和感を大事にすることで得られるもの

もし、昔の私のように、「これは小さなことだから」と、その感情を無視したり抑圧したりしたら、どうなっていたでしょう?そんなに大きな違和感ではないので、その場は、そのほうがもしかしたら、楽だし、手間もかからなかったかもしれません。

しかし、私の中に作られた「思い込みのストーリー」が書き換えられるチャンスはなく、私はひとりでその妄想を膨らませてしまうかもしれません。次に何か似たような事象が起きたとき、「ほらね、やっぱり、あの人はああだよね」とそのストーリーを強化するかもしれません。それを続けていくと、どこかで、自分の感情が抑えきれなくなって爆発したり、その人とのつながりを断ったりするような行動をしてしまうかもしれません。

過去の、うまくいかなかった人間関係を振り返ると、そんなことが、わりとよくあったよなぁ、とほろ苦い思いが湧いてきます。相手が本当はどう考えているかを、確かめるかわりに、仲の良い友達にぐちったり、飲み会の席でぐちったり。そうこうしているうちに、相手にレッテルを貼って、気持ちが離れてしまったことを、思い出します。

ちょっとした違和感を見逃さず、コネクションプラクティスを実践する。もしかしたら、面倒くさいことに感じられる方もいるかもしれません。しかし、自分とは違う価値観や背景を持った、ひとりの人間と、本当につながろうと思ったら、それくらいの労力は当たり前に必要なのではないか、と、今の私は考えています。

そして、その労力をかけても、つながりあうことの素晴らしさ、それこそが人生の醍醐味なのではないか、とも。

よいニュースは、コネクションプラクティスは、プラクティス(練習、実践)を重ねれば、誰でも上達するシンプルなスキルだ、ということです。なので、私は、このスキルを、ひとりでも多くの方にお伝えできればいいな、と思っています。

<文責:株式会社 まんま 代表 中村真紀>