コネクションプラクティスの視点―「女性は話が長い」問題―

こちらは、コネクションプラクティスの認定トレーナー(ラスール)として、日々の出来事を、コネクションプラクティスの視点から取り上げるシリーズです。

※コネクションプラクティスの視点とは

 コネクションプラクティスとは、非暴力コミュニケーション(NVC)の「共感」と、ハートマス研究所の「ハート・脳洞察」の相乗効果で、自分自身、まわりの方とつながり、人生の課題を解決し、人生を豊かに生きるためのスキルです。取り上げる話題は、日々の生活の中で、コネプラに関係あるなあ、と思ったことになります。場合によっては、「共感だけ」「ハート・脳洞察だけ」にかかわる話題の場合もあります。

ここのところ、M元首相の「失言」(と呼ばれているもの)について、主に、M元首相を批判している意見を頻繁に目にします。

コネクションプラクティスを学ぶ前だったら、彼の発言として報道されていることに、私も、きっと、強い怒りを覚えたかもしれません。しかし、今は、正直、ちょっと居心地の悪い気持ちを感じています。

「女性は話が長い」発言をコネクションプラクティスの視点からみると

ただ、その話の全貌を、整理して、お伝えする自信は、まだありません。あまりに、いろいろな要素が入っていそうなので。そのかわり、彼の発言とされて報道されているものの一部だけを、例題として切り取って、少し、コネクションプラクティスの視点からみてみたいと思います。なので、これは、M元首相云々の話とは切り離して、読んでいただけるとありがたいです。

キーワードのひとつは「女性は話が長い」のようですね。今日はそこだけ切り出します。

なお、この「女性は話が長い」というのは、M元首相の発言そのものではありません。M元首相は「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と言ったとのこと。ただ、ネットのニュースなどのタイトルで「女性は話が長い」という表現をたくさんみましたので、今回は、敢えて、その部分を切り取りました。(タイトルと、本当の発言の関係だけにも、いろいろな示唆が含まれているなあと思いつつ)

不思議なことのひとつは、「話が長い」のは、悪いことだ、という前提が、かなり多くの人に共有されているのかなあ、と思えること。

そもそも、長い、というのは、何分のことなのかも不明だなあ、とも思います。

コネクションプラクティスステップ:観察

このあたりを、コネクションプラクティスを形成するスキルのひとつである、非暴力コミュニケーション(NVC)の最初のステップ「観察」では、誰が見ても聞いても同一な理解になるように、場面を切り取ることを大切にしています。そうしないと、共通の土壌ができない、ということですね。

暗黙の前提の、「話が長い」のはよくないこと」、というのは、どういう価値観からきているのか、というのも、深めたらきりがないほど、面白い話に思えます。個人的には、ビジネス視点での「効率」を大切にする価値観からきているような気がしますが。

観察という点からだけみると、「話が長い」というのも、個人の判断・考えに基づいた表現だし、それを「差別した」と捉えるのも、個人の判断・考えに基づいているようにみえますね。

まさにジャッジとジャッジ、考えと考えのぶつかりあいです。

これを、道徳的なジャッジメントともいいます。対照的なのは、価値的ジャッジメント。

「”女性の話が長い”いう発言は、けしからん、というのは道徳的なジャッジメントですが、「”女性の話が長い”という発言を私は好きではない」といえば、価値的ジャッジメントになります。

私、個人としては、自分の考えを世間の正論におきかえるより、自分の責任で、自分の好みを表明する方が、(それこそ)私の好みかなあと思っています。

そして、「そんな発言をする人はけしからんから、罰を受けて当然」というよりは、「正直、あなたの発言は好きでないし、聴くと悲しい気持ちになったけれど、あなたは、本当はどんなことを大事にしていたの?」という対話を続ける方が、人と人がつながり、安心してお互いを認め合える社会に近づくのかなあ、なんて気がしています。

今日は、コネクションプラクティスのほんのさわりを使って、ちょっとだけ居心地が悪く感じていることを取り上げてみました。

追伸:

その1

この件に関して、深い考察をしている友人達の投稿をみると、この原稿を投稿することに気後れしている自分がいることを正直に告白します。敢えて、浅いところで切り取っていますが、その、お互いのジャッジメントの裏に、深い悲しみや怒りや歴史があるのだろうな、ということ。そして、だからこそ、「懲罰」ではなく「対話」を望む気持ちがあることだけは、お伝えしておきます。

その2

非暴力コミュニケーション(NVC)の創始者、マーシャル・ローゼンバーグは、自分の感情の責任は自分にある。他の人の行動や言動は、その感情を引き起こす刺激にはなるが、原因ではない、という主旨のことを、著書の中で何度も書いています。私の好きな考え方のひとつです。その考えからみると、今回のM元首相の発言は、多くの人の感情を動かす、強い刺激になったのだなあ、と思います。そして、そうなった理由を深掘りする価値は十分にあると感じていますし、私が深いと思う投稿は、そのことについて語っていると多いな、という個人的な感想があります。

<文責:株式会社まんま 代表 中村真紀>