追えば逃げる。恋愛も人生も

人生は、「追えば逃げる」という意味において、恋愛と同じである、と思う。かくいう私は、恋愛に関しては、成功例がほとんどなく、このことを語る資格もないのだが。人生に関してはいくつかの経験がある。

不思議なことだが、大手スーパーマーケットに入社した1年目に、私は「この会社の社長になりたい」と思っていた。それは、本当に純粋な動機と傲慢ともいえる自分への信頼の結果で、「この会社をもっとよくしたい。少なくとも今の体制より、純粋な私がやったほうが、会社のためになるのでは?」と思っていたのだ。

社長という肩書がほしいとか、社長になったら給与がどれくらい、とかそんなことはまったく考えていなかったと思う。「この会社をもっとよくしたい!従業員が働きやすく、お客様にもっと喜ばれるお店を作りたい」。その必死な一念だけだった。

そんな情熱があった私は、経営者というものをめざして、様々な経験や勉強を重ねた。結果いろいろなことがあり、2009年にはこの会社の執行役員SVPになった。45歳のときである。

肩書きと給与への執着

しかし、実際に、その肩書と給与を手にした私は、そこからなぜか迷い道に迷い込んでしまったように思う。もちろん、仕事は一生懸命やっていたし、それなりの成果も出した。しかし、新入社員の頃にはまったくなかった「肩書や給与」への執着、というものも正直生まれてきたと思う。その仕事を100%無欲、無私でやれたか、というと、そうではなかったとも思う。また、新入社員の時の思いとは別の意味で「社長になりたい」と思い始めていたが、それは、まさに「肩書と給与」への執着そのものであったようにも思う。

当然、そんな心持では、いろいろなことがうまくいかなくなってくる。何より自分自身が苦しいのだ。そして私は2017年半ば、この会社を卒業することを決めた。次には外資系の物流会社の日本法人社長という仕事を選んだ。

しかし、この選択もまた、「肩書と給与への執着」の延長であったと認めざるをえない。様々な課題に対峙し、必死に仕事に取り組んだものの、どこかで「お金や肩書にこだわっている自分」への嫌気が抜けなかったと思う。正直、苦しい3年間だった。そして、3年後の今年9月、私はこの会社の社長を退任、自分の株式会社を設立、そして大好きな糸島に移住することを決意した。

その新会社では、「大好きな糸島を応援する事業」をやることは、決めているものの、それ以外はまだまだこれから模索中である。「安定」ということに執着するならば、このような決断はできない。しかし、リスクをとって、今、本当に自分の魂がやりたいことを選んだ私は、「給与と肩書」があった時代より、よほどすがすがしく、気分のよい、ご機嫌な状態である。

「追う」から「手放す」へ

久しぶりに、「追う」ことをやめ「手放した」途端、いろいろな面白い出会いも生まれてきた。たとえば、顧問候補として紹介いただいた化粧品会社が、「糸島好き」ということに目をつけて、一緒に糸島葡萄でワインを作るプロジェクトをやりませんか、と声をかけてきたり。(ちなみに、私はワインエキスパートももっている大のワイン好きで、人生の新しいステージでワイナリー経営をすることも本気で考えたのだが、女ひとりではとても太刀打ちできる事業ではない、とあきらめた経緯がある)。「チョコレートで世界平和を」という大きな夢をもつ青年が「力を借りたい」と申し出てきたり。あるいは、あるきっかけから受講した、「他人とつながり人生を切り開くスキル」を教える団体が、私が外資出身で経営ができることから、運営メンバーに入ってほしいと要請してきたり。

特に、最後の事例では、その団体が、USにある本部との契約交渉で行き詰まっていたところに、いきなり新参者の私がメンバーとして加わり、その契約をまとめることができた。その団体が、中国で製造輸入しようとしていた、あるツールの発注業務を引き受け、2年近くかかっていたそのプロジェクトを進めて、輸入を完了させることができた。その団体のみなさんからは、本当に喜んでいただけた。私自身、自分のスキルや経験が役に立つということがこんなに嬉しいことなのか、ということを改めて理解した。

そのどれもこれも、まったくお金につながる感じはしないのだが、私にとっては面白くて仕方のない仕事でわくわくしている。そして、こんな出会いが、次の展開につながるような予感がしてならない。

追わずに手放せば、「楽しい、充実した時間がやってくる。」今度はちゃんと気を付けよう。今わくわくしていることが、もっとうまくいきだしたとき、初心を忘れて、表面的な成果や評価に執着しないように。そうすれば、きっと人生は豊かな時間となるはずだ。

そして、この極意を、「恋愛」にも生かせるようになれば、最強なんだけど。まだ、あきらめていないよ。

(文責:中村 真紀)