神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
ニーバーの祈り
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
これは、有名なニーバーの祈りというもので、アメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーの作とされています。
ニーバーの祈りとして認識していたわけではないのですが、この「変えるべきものを変える勇気、変えられないものを受け入れる力」という考え方は、若い時代から(いつ頃からかは覚えていませんが)、私にとって、座右の銘というか、ベースとなる考え方のひとつだったと思います。
人間には、変えられるものと、変えられないものがある。変えられないものに、文句を言ったり嘆いたりしても、どうしようもならない。どうせなら、エネルギーは変えられるものにフォーカスし、変えられないものをただ、受け入れる、そんな力を持ちたいな、という願いです。
そんな風に生きたいという気持ちは、今も変わりはないのですが、最近は、更に、「変えられないものに、“意味”を見出す」という生き方をしたいなあという気持ちになってきました。
変えられないものを受け入れる勇気というときに、私が思い浮かべるのは、そのときの自分にとって心地よくなかったり、不快だったり、痛かったりする状況です。それを、ただ、受け入れるというのも大事なのですが、一歩進んで、現在の自分には「不都合に見える」それらの事象にも、何か意味があるのだ、という目で見たら、どうなるか、そんなことに興味が出てきたのです。
そういう目で見ると、私の人生の中にも、このことを考えさせてくれる実例はいくつでもあります。たとえば、ですが、もう5-6年前のゴールデンウィークに、私は妹とハワイ島に行こうとしていました。ハワイ島は、そのころ、もっとも行きたい場所のひとつで、私はこの旅をとっても楽しみにしていました。
ところが、直前に、妹の方の都合で、この旅行には行けなくなってしまいました。正直、私はとてもがっかりしました。そして、その時期から行ける場所を探したところ、こちらも、前からなんとなく行ってみたかった、長崎県の五島列島なら直前でも予約できる宿があることがわかり(それは熊本地震の影響もあってのことだったのですが)、そこに母と行くことにしました。
五島列島の上五島に上陸した日のことは今でも忘れません。今まで見たこともないような真っ青な空と海、そして美しい緑。なぜか、その瞬間、私は「ここに移住したい」と思っていました。移住しようなんて考えは、人生の中でその瞬間まで出てきたことはなかったのに。
五島にひとめぼれした私は、それから数年は折を見ては五島に旅をしようとしていましたし、移住も真剣に検討しました。しかし、いかんせん、五島は東京からは遠すぎましたし、移住したあとの生活にもいまひとつリアリティが感じられず、どうしたものか、と思いあぐねるようになりました。
そのときに、ご縁で知り合ったのが糸島だったのです。五島を知っていたからこそ、私には、糸島の価値がよくわかりました。五島ほどではないにしても、十分に美しい自然と、抜群のアクセスというバランスに虜になってしまったのです。移住はすぐにできないにしても、移住できるかどうかを確認するために、毎月通うことはできると思い、実際にそうしました。
それが、今の私の人生につながっています。人生に「たら・れば」はありませんが、あのとき順調にハワイ島に行っていたら、私の人生は、大きく変わっていたような気がします。
そう考えると、あの瞬間は残念だった、ハワイ島旅行の中止が、今となってみれば、私に人生の新しい扉を開いてくれた、最高のギフトだったということになるわけです。
だから、人生って面白いなあと思います。
ちなみに、ハワイ島にはまだ行けていません。いつかぜひ行ってみたいものです。
そして、できるならば、どんなにその瞬間には「不都合」に見えるできごとにも、意味を見出し、面白みを見出す人生を歩んでゆきたいな、と思っています。
<文責:株式会社まんま代表 中村真紀>