天敵はあなたの応援団である

正直いうと、私は、天敵体質で、特にここ15年ほど、定期的に、「天敵」があらわれ、そのたびに、その相手に対してストレスを感じてきた。

でも、今ならわかる。「天敵」は、本当は、「天敵」ではなく、私の強力な応援団だったのである。天敵だと思っているのは、実は、自分が許してこなかった、自分自身が抑圧している、自分がよくないと思っている面を天敵の中に見ているのだ。だからこそ、反応し、ストレスを感じる。そうではなくて、自分の抑圧してきた面を直視し、それを受け入れ、許すことで、相手への見方が変わり、人生が楽になる。「天敵」はそれを教えてくれる存在、という意味で「応援団」なのである。

私の3人の天敵

最初に天敵を意識したのは、10年ほど前。私が新入社員のときに既に大部長だった人と、いろいろな経緯から、同等で、かつ、対立が起きやすいポジションについたとき。どう考えても、誰がみても、ありとあらゆる会議で、彼からつっかかられ、意地悪された。

次の天敵はそれから5年ほど経ったころあらわれた。今度は、中途で入った同い年の同僚が上司になったとたん、いろいろと私につっかかってきたのだ。電話で1時間近く怒鳴られたこともある。しまいには、人事の友人がみかねて、「もったいないから、辞めて他を探したほうがいいよ」と個人的にアドバイスをくれる始末。

そして、最新の天敵は3年前。転職をした先の顧客の担当部長。私より20歳近くも若くて、優秀なその人は、やはり、何かにつけて、私につっかかってきた。この人との関係を悩み、健康だけが自慢だった私の体調が、明らかに崩れてきて、ついに楽しみにしていたフランス旅行をあきらめ、沖縄のホテルで海の見える部屋に5日間こもりきりになったのが昨年の夏のできごとである。

ここまでお読みの方は既にお気づきと思うが、この3人の、私が勝手に「天敵」と決めつけている人に対して、私は、私の先入観で、彼らの私に対する行動を「つっかかってきた」という自分の解釈で決めつけている。これでは、うまくいくものもうまくいかないのは当然であろう。

さらに、彼らを「つっかからせた」私にも、何らか、彼らを刺激する行動や言動があったはずである。なぜ、そのような言動・行動をとったか。それはおそらく、彼らの中に、私が私の中に本当はあるのだが、見たくないので我慢して抑圧している要素、たとえば、「権威によりかかる」「自分より劣ると思う人に対して傲慢なふるまいをする」「相手の意見に耳を傾けない」などを見つけてしまいい、自分はそれを我慢しているのに、自由にそのような、行動を行う彼らに対して、うらやましさや、腹立たしさを感じてしまったり、自分のダークサイドを見せつけられてしまっているようで、痛くてしかたがないので、反発していたのだろう。

あなたに起きる不本意な現実は、あなたの内面を反映している

そんなことに気づいたのは、昨年の夏休み、沖縄で、お腹をこわしながら、ホテルの部屋の中にこもりきりの生活をしていた時である。それまでの私は、誰かとの対立が起きるたびに、自動的に、無意識に、「私が正しくて、相手が間違っている」と思い込んでいた。今となっては、本当にお恥ずかしい話なのだが、心からそう信じていたのである。

にしても、3人もの強力な天敵が次々とあらわれるとは、何かがおかしい、とその頃の私は薄々気づいていたのであろう。ふと、直観的に手に取った本に書いてあったのは「あなたに起きる不本意な現実は、あなたの内面を反映している」という言葉であった。

滅多に経験しない、身体の不調で、心が弱っていたせいもあるのかもしれないのだが、その言葉は不思議に、すっと私の胎に落ちた。本当にそうなのだろうな、と思った。そして、その先をもっと知りたくなった。

その探求を始めた私は、その後、それまでの悪循環から抜けることができた。そして、今では、会社を辞めて、大好きな福岡県糸島市に移住し、まだ次に何の仕事をするかも決まっていないのに、毎日、感謝と「わくわく」に満たされ、ご機嫌に暮らしている。

それなりの年収を稼いで、外資系企業の雇われ社長をやっていたときは、お金はあったが、心は満たされていなかった。毎日、えもいわれぬ不安とおそれに襲われていた。今は、お金の算段は未だたっていないのだが、心は満たされ、身体はエネルギーに満ちている。この先、何があっても、ご機嫌に生きていける自信がある。

それを教えてくれたのは、私が「天敵」と決めつけていた3人の「恩人」である。と今なら素直に心から思える。

だから、天敵は私の強力な応援団なのである。

(文責:中村 真紀)